世界の死者数ランキング(20世紀以降)

世界の自然災害ランキングです。地震、津波、台風、火山噴火、ハリケーン、サイクロンなど。歴史に残る過去の大災害について、その教訓から学び、被害を少しでも減らしていきましょう。(参考:JDPアセットマネジメント、Hitomi AIなど)
火災の死者数ランキングはこちら→

死者・行方不明者数(概数)





1931年中国大洪水
(1931年) 
説明▼ 

 

 
 

80万〜400万人

 
中国・黄河大洪水
(1887年) 
説明▼ 

 

 
 

90万〜200万人

 
中国・華県地震
(1556年) 
説明▼ 

 

 
 

83万人

 
バングラデシュ・サイクロン
(1970年)
説明▼ 

 

30万〜50万人
中国・唐山地震
(1976年)
説明▼ 

 

242,000人
スマトラ島沖地震・津波
(2004年)
説明▼  

 

228,000人
ハイチ地震
(2010年)
説明▼  

 

222,600人
中国・甘粛省地震(海原地震)
(1920年) 

 

約200,000人
ミャンマー・サイクロン「ナルギス」
(2008年) 

 

138,400人
バングラデシュ・サイクロン
(1991年) 

 

138,000人
トルクメニスタン・アシガバート地震
(1948年) 

 

110,000人
日本・関東大震災
(1923年) 

 

105,000人
中国・四川大地震
(2008年) 

 

87,500人
パキスタン地震(カシミール地震)
(2005年) 

 

87,300人
イタリア・メッシーナ地震・津波
(1908年) 

 

75,000人
ペルー・アンカシュ地震
(1970年) 

 

70,000人
中国・スワトウ(汕頭)台風
(1922年) 

 

約60,000人
トルコ・シリア地震
(2023年) 

 

約60,000人
インド・クエッタ地震
(1935年) 

 

約60,000人
中国・長江大洪水
(1949年) 

 

57,000人
イラン・ルードバール地震
(1990年) 

 

41,000人
中国・長江大洪水
(1954年) 

 

40,000人
バングラデシュ・サイクロン
(1965年) 

 

36,000人
イタリア・アベツァーノ地震
(1915年) 

 

32,000人
ベネズエラ豪雨
(2000年) 

 

30,000人
マルティニク・プレー山噴火
(1902年) 

 

29,000人
チリ・チヤン地震
(1939年) 

 

28,000人
イラン・バム地震
(2003年) 

 

26,800人
イラン・タバス地震
(1978年) 

 

25,000人
アルメニア・スピタク地震
(1988年) 

 

25,000人
グアテマラ地震
(1976年) 

 

23,000人
日本・東日本大震災・津波
(2011年) 

 

22,300人
コロンビア・ネバドデルルイサ火山噴火
(1985年) 

 

22,000人
インド・サイクロン
(1977年) 

 

20,000人
インド西部地震(グジャラート地震)
(2001年) 

 

20,000人
ホンジュラス・ハリケーン「ミッチ」
(1998年) 

 

19,000人
メキシコ・エルチチョン山噴火
(1982年) 

 

17,000人
トルコ・イズミット地震
(1999年) 

 

17,000人
香港・台風(丙午台風)
(1906年) 

 

15,000人
タジキスタン・ハイト地震
(1949年) 

 

12,000人
イラン・ダシュテバヤズ地震
(1968年) 

 

12,000人
リビア東部洪水
(2023年) 

 

11,300人
バングラデシュ・サイクロン
(1985年) 

 

11,000人
イタリア北部・雪崩
(1916年) 

 

10,000人
インド・オリッサ・サイクロン
(1971年) 

 

10,000人
メキシコ地震
(1985年) 

 

10,000人
インド南部地震(ラトゥール地震)
(1993年) 

 

9,800人
インド・オリッサ・サイクロン
(1999年) 

 

9,500人
ネパール地震
(2015年) 

 

9,000人
日本・阪神淡路大震災
(1995年) 

 

6,434人
フィリピン・台風「ハイエン」
(2013年) 

 

6,300人
米国・ガルベストン・ハリケーン
(1900年) 

 

6,000人
グアテマラ・サンタマリア山噴火
(1902年) 

 

6,000人
台湾・梅山地震
(1906年) 

 

6,000人
チリ・バルディビア地震・津波
(1960年) 

 

6,000人
フィリピン・台風「セルマ」
(1991年) 

 

6,000人
インドネシア・ジャワ島中部地震
(2006年) 

 

5,800人
インドネシア・ケルート山噴火
(1919年) 

 

5,200人
日本・伊勢湾台風
(1959年) 

 

5,098人
エクアドル地震
(1987年) 

 

5,000人
                                   
災害名(年)死者・行方不明者数(概数)
1931年中国大洪水
(1931年)
 説明▼
80万〜400万人
中国・黄河大洪水
(1887年)
 説明▼
90万〜200万人
中国・華県地震
(1556年)
 説明▼
83万人
バングラデシュ・サイクロン「ボーラ」
(1970年)
 説明▼
30万〜50万人
中国・唐山地震
(1976年)
 説明▼
24万2,000人
スマトラ島沖地震&津波
(2004年)
 説明▼
22万8,000人
ハイチ地震
(2010年)
 説明▼
22万2,600人
中国・甘粛省地震(海原地震)
(1920年)
約20万人
ミャンマー・サイクロン「ナルギス」
(2008年)
13万8,400人
バングラデシュ・サイクロン
(1991年)
13万8,000人
トルクメニスタン・アシガバート地震
(1948年)
11万人
日本・関東大震災
(1923年)
10万5,000人
パキスタン地震(カシミール地震)
(2005年)
8万7,300人
中国・四川大地震
(2008年)
8万7,500人
イタリア・メッシーナ地震&津波
(1908年)
7万5,000人
ペルー・アンカシュ地震
(1970年)
7万人
中国・スワトウ(汕頭)台風
(1922年)
約6万人
トルコ・シリア地震
(2023年)
約6万人
インド・クエッタ地震
(1935年)
3万〜6万人
中国・長江大洪水
(1949年)
5万7,000人
イラン・ルードバール地震
(1990年)
4万1,000人
中国・長江大洪水
(1954年)
4万人
バングラデシュ・サイクロン
(1965年)
3万6,000人
イタリア・アベツァーノ地震
(1915年)
3万2,000人
ベネズエラ豪雨
(2000年)
3万人
チリ・チヤン地震
(1939年)
2万8,000人
マルティニク・プレー山噴火
(1902年)
2万9,000人
イラン・バム地震
(2003年)
2万6,800人
アルメニア・スピタク地震
(1988年)
2万5,000人
イラン・タバス地震
(1978年)
2万5,000人
グアテマラ地震
(1976年)
2万3,000人
日本・東日本大震災&津波
(2011年)
2万2,300人
コロンビア・ネバドデルルイサ火山噴火
(1985年)
2万2,000人
インド西部地震(グジャラート地震)
(2001年)
2万人
インド・サイクロン
(1977年)
2万人
メキシコ・エルチチョン山噴火
(1982年)
1万7,000人
トルコ・イズミット地震
(1999年)
1万7,000人
ホンジュラス・ハリケーン「ミッチ」
(1998年)
1万9,000人
タジキスタン・ハイト地震
(1949年)
1万2,000人
イラン・ダシュテバヤズ地震
(1968年)
1万2,000人
リビア東部洪水
(2023年)
1万1,300人
香港・台風(丙午台風)
(1906年)
1万5,000人
バングラデシュ・サイクロン
(1985年)
1万1,000人
イタリア北部・雪崩「ホワイト・フライデー」
(1916年)
1万人
インド・オリッサ・サイクロン
(1971年)
1万人
メキシコ地震
(1985年)
1万人
インド南部地震(ラトゥール地震)
(1993年)
9,800人
インド・オリッサ・サイクロン
(1999年)
9,500人
ネパール地震
(2015年)
9,000人
日本・阪神・淡路大震災
(1995年)
6,434人
フィリピン・台風「ハイエン」
(2013年)
6,300人
米国・ガルベストン・ハリケーン
(1900年)
6,000人
グアテマラ・サンタマリア山噴火
(1902年)
6,000人
台湾・梅山地震
(1906年)
6,000人
チリ・バルディビア地震&津波
(1960年)
6,000人
フィリピン・台風「セルマ」
(1991年)
6,000人
インドネシア・ジャワ島中部地震
(2006年)
5,800人
インドネシア・ケルート山噴火
(1919年)
5,200人
日本・伊勢湾台風
(1959年)
5,098人
エクアドル地震
(1987年)
5,000人

(注)死者・行方不明者数5000人以上の自然災害
資料:内閣府「防災白書」(平成26年=2014年=版ほか)
関連:火災の死者数ランキング(世界)

ワースト1位:
「1931年中国大洪水」(長江・淮河大洪水)

死者数は約200万人前後、最大400万人とも推計

1931年の夏をピークに、中華民国(当時)で発生した、長江と淮河(わいが)流域を中心とする大規模な水害です。20世紀以降の自然災害の中でも最大級の犠牲者を出した災害であり、記録上最悪の洪水災害の一つとされています。

異常気象が重なった「最悪のシナリオ」

原因は複合的なものでした。冬に異例の大雪が積もり、春にそれが一気に融解して川が増水しました。
さらに7月には、通常なら年2回程度とされるサイクロン性暴風が、1か月の間に7回も襲来したとされ、記録的な豪雨が続きました。これにより、主要な堤防が各地で決壊しました。
当時の首都であった南京も大きな浸水被害を受け、武漢などの主要都市も長期間にわたり水に浸かりました。

犠牲者の多くは、水害後の飢饉と疫病

この災害の恐ろしい点は、洪水による直接の溺死だけでなく、その後に発生した「深刻な飢饉」と「伝染病」による死者が極めて多かったことです。
汚染された水によりコレラや腸チフス、赤痢などが蔓延し、食料不足も相まって、被害は壊滅的な規模に拡大しました。
当時の調査や統計は残っていますが、被害の範囲が広く、飢饉・疫病による後続死も多かったため、正確な死者数は確定していません。最大で400万人に達したという推計もあり、戦争を除く単一の水害・複合災害としては史上最大級の犠牲者数として記録されています。

ワースト2位:
中国・黄河(こうが)大洪水(1887年)

連日の豪雨で堤防が決壊

1887年9月、連日の豪雨で黄河の水位が上がった。 河南省の鄭州(ていしゅう)近くの「花園口(かえんこう)」で堤防が決壊・越水し、大洪水となった。

川底が平野より高い「天井川」状態

黄河はもともと土砂の堆積で河床が高くなりやすく、下流域では川底が周囲の平野より高い「天井川」状態になっていた。 そのため、堤防が破れると水が広範囲に流れ出し、被害が巨大化した。

多数の病死も

多数の住民が濁流に流されて溺死した。 洪水後の飢餓、疫病、寒さ、避難生活の衰弱などによる死者も多かった。 病気による死者は、溺死とほぼ同じくらいだったとの指摘もある。

ワースト3位:
中国・華県(かけん)地震(1556年)

震源は、現在の陝西(せんせい)省の渭南(いなん)市華州区あたり。地震そのものが強かったことに加えて、被災地の住まいと地形が極端に地震に弱かったため、甚大な被害が出たと言われる。

崖の洞窟に住んでいた人たち

陝西・河南・山西などの黄土高原では、黄土の崖に横穴を掘って住む「窰洞」が多く使われていた。黄土は乾燥時には比較的安定するが、強い揺れや斜面崩壊には弱い。地震で洞窟住居や崖が崩れ、住民が埋まったことが死者増大の大きな要因だった。

死者数約83万人のうち3分の2が飢饉・疫病による

死者数約83万人のうち3分の1が地震直後の倒壊死で、残りの約3分の2はその後の飢饉・疫病による考えられている。

ワースト4位:
バングラデシュ・サイクロン「ボーラ」(1970年)

死者数は推計30万〜50万人

サイクロン「ボーラ」は、1970年11月12日に、現在のバングラデシュにあたる東パキスタンと、インドの西ベンガル州を襲った猛烈な熱帯低気圧です。
単一の熱帯低気圧(サイクロン)による被害としては、観測史上最悪の死者数を出した悲劇的な自然災害として記録されています。

低平地を飲み込んだ巨大な「高潮」

被害を甚大にした最大の要因は、サイクロンに伴う巨大な「高潮」でした。ガンジス川のデルタ地帯という、海抜が極めて低い地域を、時速185キロ以上の暴風と、最大で約10メートルに達する高潮が襲いました。
特にデルタ地帯の低平な島々では、広い範囲が高潮に飲み込まれ、夜間に襲来したことも重なって、多くの人々が避難する間もなく濁流に押し流されました。家畜や農作物にも甚大な被害が出て、生存者もその後の深刻な食料不足に直面しました。

一国の独立を加速させた歴史的転換点

この災害は、自然災害の枠を超えて政治的にも大きな影響を及ぼしました。当時、この地域を統治していた西パキスタン政府による救援活動の遅れや不手際が、現地住民の強い憤りを招きました。
この政府への不信感は、すでに高まっていた東パキスタンの自治要求と結びつき、翌1971年のバングラデシュ独立へ向かう流れを加速させる重要な要因となりました。

ワースト5位:
中国「唐山(とうざん)地震」(1976年)

史上最悪の「都市直下型」地震

世界史上最悪の「都市直下型」地震と位置付けられている。グニチュード7.8、震源の深さ15km。人口密集した工業都市・唐山を直撃した。

死者数は公式発表で24万2769人

地震が発生したのは1976年7月28日ですが、中国側がこの「24万2769人」という具体的な死者数を公表したのは、発生から3年後の1979年のことでした。

推計値のばらつき

地震発生当時、中国は文化大革命の末期で政治的に非常に混乱しており、被害情報の把握や公表が困難な状況にありました。そのため、当時の西側では、死者数は65万人以上、あるいは70万〜80万人規模に達していたのではないかという高めの推計が流通した時期もあります。

中国有数の工業都市を直撃

唐山市は当時、100万人近い人口を抱える中国有数の工業都市でした。炭鉱、鉄鋼、機械工業などを抱え、労働者住宅、工場、病院、学校、行政施設が密集していました。そのため、建物の倒壊はそのまま人的被害と都市機能の崩壊に直結しました。

眠っていた街を直撃

しかも、地震は午前3時42分という「寝静まった時間帯」に発生しました。大半の住民は就寝中で、揺れに気づいてから逃げる時間はほとんどありませんでした。家屋が一瞬で崩れ、寝室にいたまま下敷きになった人も多かったとされます。 耐震性を十分に考慮していない煉瓦造・組積造の建物が多かったため、中心市街地は一瞬にして壊滅的な被害を受けました。

地震予知の難しさ

唐山地震は、前年1975年2月の海城地震との対比でも語られます。海城地震では、強い前震活動があったため、当日に県政府が具体的な避難命令を出し、被害をある程度抑えることができました。その約1年5か月後に起きた唐山地震では、大規模避難につながるほど明瞭な前震・前兆がなかったとされ、避難命令等の発令もありませんでした。この結果、都市がほぼ無防備な状態で本震を迎えました。

文化大革命末期の中国を直撃

唐山地震が発生した1976年は、中国にとって極めて不安定な年でした。文化大革命はすでに10年目に入り、国家機構や経済、教育、科学技術の現場には深い混乱と疲弊が残っていました。

そのような時期に、首都北京にも近い重工業都市・唐山が壊滅したことは、単なる自然災害にとどまりませんでした。工業生産を支える都市が一夜にして破壊され、交通、通信、医療、行政機能も大きな打撃を受けたことで、当時の中国が抱えていた統治能力の弱さが浮き彫りになりました。

「自力更生」と情報統制の限界

当時の中国は、外国からの大規模な支援受け入れには慎重でした。文化大革命期の中国では、外部に頼らず国内の力で困難を克服する「自力更生」が重視されており、災害対応でもその政治的な姿勢が強く表れました。

被害の実態をすぐに広く公表せず、外部支援にも距離を置いたことは、救援の迅速さや被害情報の透明性という点で大きな制約になりました。

毛沢東時代の終幕を告げるような災害

唐山地震の約1か月半後、毛沢東は死去しました。すでに周恩来は同年1月に亡くなっており、中国の最高指導部では後継をめぐる緊張が高まっていました。

そのため唐山地震は、毛沢東時代の末期に起きた巨大災害として、政治的な意味も帯びることになりました。天変地異が王朝や政権の動揺と結びつけて語られやすい中国史の文脈の中で、首都近郊の大都市が壊滅したことは、時代の終わりを象徴する出来事のようにも受け止められました。

ワースト6位:
インドネシア「スマトラ島沖地震・津波」(2004年)

死者・行方不明者は約22万7000人

2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島北西沖で発生したマグニチュード9.1級の巨大地震。地震そのものによる揺れだけでなく、インド洋全域に広がった大津波によって、インドネシア、スリランカ、インド、タイなど広い範囲で壊滅的な被害が出ました。死者・行方不明者は約22万7000人。

アチェ州を直撃した巨大津波

最大の被害を受けたのは、地震発生から短時間で巨大な津波が押し寄せたインドネシアのアチェ州でした。海岸沿いの集落が次々とのみ込まれ、州都バンダアチェを含む広い地域で、住宅、道路、橋、港湾、学校、病院などが破壊。巨大な濁流が、がれきや車両、船、建物の残骸を巻き込みながら陸地の奥深くまで流れ込みました。

海底の大きな「ズレ」が津波を生んだ

震源地は、インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下へ沈み込む境界のあたりでした。海底が広い範囲で急激に持ち上がったり沈み込んだりしたため、その上にあった大量の海水が一気に動かされました。その結果、津波はインド洋を横断し、震源から遠く離れたスリランカ、インド、タイ、モルディブ、さらにはアフリカ東岸にまで到達しました。

観光地でも多数が犠牲に

タイ南部のプーケットやカオラックなどの観光地も津波に襲われました。年末の休暇シーズンだったため、現地住民だけでなく、世界各国から訪れていた観光客も多数犠牲になりました。

警報のないまま襲った津波

被害を大きくした要因の一つは、当時のインド洋地域に十分な津波警報システムが整備されていなかったことです。太平洋では津波警報の仕組みが比較的整えられていましたが、インド洋では大規模な津波を想定した国際的な警報体制が不十分でした。そのため、地震発生後に津波の危険を多くの沿岸住民へ迅速に知らせることができませんでした。

ワースト7位:
「ハイチ地震」(2010年)

首都直下型

首都ポルトープランスの近郊が震源地となった。「首都直下型」あるいは「首都圏直下型」の地震として区分できる。 当時の首都圏(ポルトープランス圏)の人口は、約230万人だった。 マグニチュード7.0。

カリブ海のイスパニョーラ島

ハイチは、カリブ海のイスパニョーラ島の西側3分の1に位置する。 同島の東側3分の2を占めるドミニカ共和国には、被害はなかった。

死者22万3000人

※CDC(アメリカ疾病予防管理センター)やUSGS(アメリカ地質調査所)が「推定22万2570人死亡、30万人負傷」としている。一般的には、この数値が広く使われている。

政府発表31万6000人は「過大」?

地震から1年の節目に、ハイチ政府が死者数を従来の推計から引き上げて「31万6000人超」と発表した。しかし、後年の研究では、被害報告、埋葬記録、建物被害、各種推計を照合した結果、ハイチ政府の「31万6000人」という数字は大幅に過大評価されている可能性が高いと指摘されている。



【参考】自然災害リスクの高い都市ランキング

1.東京・横浜(日本)
2.マニラ(フィリピン)
3.珠江デルタ(中国)
4.大阪・神戸(日本)
5.ジャカルタ(インドネシア)
6.名古屋(日本)
7.コルカタ(インド)
8.上海(中国)
9.ロサンゼルス(米国)
10. テヘラン(イラン)

※スイスの再保険会社スイス・リーが2013年に発表